wagamamakacchan’s blog

Music washes away the dust of every life. =Art Blakey=

ビル・エヴァンス / イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン

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1. アップ・ウィズ・ザ・ラーク
2. ホワット・アー・ユー・ドゥーイング・ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ
3. マイ・ロマンス
4. エミリー
5. イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン
6. サム・アザー・タイム
7. 枯葉
8. フー・キャン・アイ・ターン・トゥ?
9. いつか王子様が

【パーソネル】
ビル・エヴァンス(ピアノ)
エディー・ゴメス(ベース)
マーティー・モレル(ドラムス)

1972年カリフォルニアでのライヴ録音


このビル・エヴァンス・トリオは1973年1月20日に東京・五反田の郵便貯金ホールでコンサートを開いているが、当時の模様はアルバム『ビル・エヴァンス・ライヴ・イン・トーキョー』に収められている。

この東京公演に先立つ1972年、米国カリフォルニアで行われたコンサートの模様をライヴ録音をしたものが、今回取り上げた『イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン』だ。

このカリフォルニアコンサートはどこにもその記録が残っておらず、詳細は分かっていないようだ。専門家はレーベルがBandstandということからプライベート録音だろうと言っている。しかも、エヴァンスのオリジナルは一切演奏しておらず、全9曲が全てスタンダードとなっている。

それはともかくとして、このカリフォルニアコンサートでも演奏されている3曲(アップ・ウィズ・ザ・ラーク、マイ・ロマンス、イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン)が東京公演で演奏されていることから、満を持しての東京公演ということが出来るだろう。演奏を比較することも含めて、これら両アルバムをお聴きすることをお薦めしておく。


さて、演奏はと言うと、やはりライヴ録音ということで演奏者と観客が相互に盛り上がっていくことが如実に実感でき、聴いていてもテンションが上がってくる。また、随所にソロ演奏を挿入し聴衆のグルーヴ感を引っ張り上げているところも凄い。やはりスタジオ録音に比べライヴ録音の方が丁々発止の演奏が可能なのだろう。これがインタープレイの真髄ということだろうか(*´∀`*)


1曲目の「アップ・ウィズ・ザ・ラーク」はエヴァンスのピアノで始まる静かな曲で、ゴメスのベースが絡んで互いの会話が始まった時には、聴衆も完全に飲み込まれてうっとりとさせられてしまう。

2曲目の「ホワット・アー・ユー・ドゥーイング・ザ・ベスト・オブ・ユア・ライフ」も静かな曲で、ここでのベースとドラムは静かなバッキングに徹している。

3曲目の「マイ・ロマンス」はおなじみの曲だが、ここではモレルのブラシワークとゴメスのアルコを絡めて最高の盛り上がりを魅せている。ここでのエヴァンスは何か生き生きとして跳ねているような演奏に徹している。やはりこれもインタープレイで「これが私のロマンスなのだ」とでも言っているように聞こえる。聴衆の拍手がそれを物語っており、このアルバムで一番長い演奏時間でもそれを感じさせない。

4曲目の「エミリー」は存分にゴメスのベースをフィーチャーしており、ベース好きにはたまらないだろう?

5曲目がタイトルとなっている「イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン」で、ジャケットイラストの女性がその内容を物語っている。エヴァンスは文字通り情緒感あふれる演奏を行なっており、何故かしんみりとさせられてしまう。ちなみに、この邦題は「雨のつぶやき」となっているが、何とも素敵な邦訳ではないか。

6曲目の「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」の日本語訳は「誰にすがったらいいんだろう」ということらしいが、ベーシストのスコット・ラファロを亡くしたビル・エヴァンスにはぴったりの表現だったろう。ゴメスのベースソロを存分にフィーチャーして、それに聴き入っているエヴァンスの姿が目に浮かぶ。ひょっとして涙を流しているんじゃない?
その後に演奏に入ったエヴァンスは水を得た魚のようにピチピチした溌溂さを魅せているから更に面白い。

7曲目の「サム・アザー・タイム」は、ゴメスのベースに呼応するかのようにエヴァンスが静かにピアノを弾き、昔を思い出してベースとの対話を楽しんでいるかのようだ。

8曲目は言わずと知れた「オータム・リーヴス(枯葉)」だが、このアルバムは4分17秒と意外と短く、ゴメスが高音ピチカートを存分に披露して主題に戻っている。曲は短いけれど十分に聞かせどろころをつかんで場を盛り上げている。聴衆の心を完全に掌握した場面である。

最後の曲「いつか王子様が」も何回も演奏されている名曲だが、ビル・エヴァンス・トリオの曲は誰がトリオの一員となろうが、全てに完璧を求めていて駄作など一切ないところがいつまでも愛される所以ではないだろうか。