wagamamakacchan’s blog

Music washes away the dust of every life. =Art Blakey=

5月27日付け産経抄に感動!!

最近、産経新聞第一面の「産経抄」と「朝の詩」をよく読んでいる。

5月27日号の産経新聞産経抄」で興味深い内容を取り上げていたのでアップしてお

く。詳しく読みたい方は産経新聞をどうぞ。

以下、その抜粋。



折に触れて読み返す詩がある。吉野弘さんの「生命は」もそのひとつだ。「生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい」。夏の日盛り、大輪の白い芙蓉(ふよう)の花を眺めていて、詩のモチーフが浮かんだという(『詩のすすめ』思潮社)。

 ▼芙蓉の花のおしべの長さは、めしべの半分にも足りない。めしべは同じ花のおしべからの受粉を望んでおらず、虫や鳥、風、水などの「他者」に期待しているのではないか。詩人は直感した。

 ▼「生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」。生命体はすべて、他者の助けなしには完結できないように運命づけられている。そのことを「欠如を抱く」という言葉で表現した。詩人にとって世界とは、お互いがお互いを必要としている他者の集まりのことだった。

 ▼しかし、現実の世界は違っているようだ。他者を踏みつけても、自分さえよければ何の痛痒(つうよう)も感じない人間が多すぎる。東京都江東区のマンションで、23歳の女性が行方不明になった事件が急展開した。2部屋隣に住む星島貴徳容疑者(33)が、「殺して細かく切断した」と供述している。

 ▼自分の欲望を満たす。それだけの理由で襲った女性のことをどれだけ知っていたのか。1月から、契約社員として働いていた広告関連会社では、まじめな仕事ぶりと丁寧な言葉遣いが評判だった。夢は得意の英語を生かした仕事に就くこと。毎日新聞に載った、かつての同僚の言葉が胸にしみる。

 ▼「彼女ほど幸せになってほしい人はいなかった」。詩はこう結ばれる。「あなたも あるとき/私のための風だったかもしれない」。東城瑠理香さんとは、いつも誰かのために吹く風のような女性だったに違いない。


この状況は日本だけのことではないだろう。世界に蔓延しているようだ。
あのミャンマーでのサイクロン被害、中国四川省での大地震など、多くの災害に遭われた人々が他者の助けを必要としている。国や政府の判断で拒否して良いものだろうか?

考えさせられる!!