wagamamakacchan’s blog

Music washes away the dust of every life. =Art Blakey=

群馬県富岡製糸場

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最近営業所の移転があり、富岡八幡宮裏手に引っ越してきたため、地下鉄東西線門前仲町駅周辺の話題を中心にブログを構成しているが、偶然にも群馬県富岡市に出張する機会があったので、今回は富岡製糸場を紹介してみたい。
仕事の関係で残念ながら富岡製糸場の見学は出来なかったが、パンフレットをもらってきたので、パンフレットに書かれている説明を紹介してみよう。

現在、群馬県では富岡製糸場世界遺産に登録しようと頑張っている。

以下、パンフレットの中の質疑応答:

①なぜ富岡製糸場は建てられたの?
 明治5年(1872)、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した製糸場(模範工場)で、
 イ)洋式の製糸器械を導入する
 ロ)外国人を指導者とする
 ハ)全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り地元の指導者とする
 などの基本的な考え方で、「生糸の輸出振興と品質向上」の見本を示しました。

②なぜ富岡に造ることになったの?
 イ)富岡付近は生糸を作るのに必要な繭が確保できるから
 ロ)工場建設に必要な広い土地が用意でき、また町民の同意があったから
 ハ)製糸に必要な水の確保できるから(高田川)
 ニ)燃料の石炭が近くの高崎で採れるから

③どんな工場だったの?
 イ)当時は世界最大規模を誇っていました
 ロ)高品質生糸は海外でも好評だったが、経営は黒字ばかりではなく、大規模すぎたために十分な機能   が果されず、明治26年(1893)に三井家に払い下げられた
 ハ)その後、明治35年には原合名会社へ、昭和14年(1939)には日本最大の製糸会社であった
   片倉製糸紡績会社に譲渡された
 ニ)昭和62年(1987)3月に操業停止

④どんな人が造ったの?
 イ)フランス人のポール・ブリューナが指導しました
 ロ)設計はフランス人のバスチャン
 ハ)日本人の尾高惇忠が初代所長となり、娘のゆうも「工女1号」として入場しました

⑤どんな工法で建てられたの?
 イ)フランスの技術を日本に合わせた工夫を加えた工法(木骨レンガ造り)で建てられました
 ロ)レンガの積み方はフランス積み(フランドル積み)で建造物に流麗さをもたらしました

⑥どんな働きをしたの?
 富岡製糸場には全国から多くの人が訪れ、模範工場として器械製糸を学んで帰りました。
 また、工女たちが帰郷後、地元の工場で指導的な立場で活躍し、日本の産業の近代化と
 器械製糸工業の発展に大きく貢献しました。

最後に今となっては笑い話(?)
「生き血をとられる?」
当初、富岡製糸場はたびたび工女募集の通達を出しても、予定通りの人数が集まりませんでした。
それは、富岡製糸場へ入場すると「外国人に生き血をとられる」というデマがまことしやかに流れていたからです。フランス人指導者たちが好んで飲むワインを生き血と思いこんだところからこのような話が生まれたようです。